百萬枚護摩行者池口恵観

高野山別格本山清浄心院住職・鹿児島県の烏帽子山最福寺開山・神奈川県藤沢市江ノ島の江の島大師を務める真言行者です。各地の国公立大学医学部で講義をし、医学医療の世界にかかわりまして予防医学の重要性を説いております。
「世界平和の巡礼」を四半世紀にわたって、世界の各地へ出かけて祈りを続けてまいりました。
日本に真言密教を持ってきた弘法大師空海「お大師さま」が開いた真言密教の僧侶であり、お大師さまの教え「衆生救済と国家安泰を祈る」を基本に、現在84歳ですが護摩行と加持祈祷を務めながら、衆生救済、国家安泰、世界平和を祈念する日々をおくっております。

高さ3メートルに達する火を焚きながら、世界平和や衆生の幸せを祈っています。

池口恵観プロフィール
五歳から読経を始めまして、数々の荒行を乗り越え、室町時代から500年続いてきた修験行者の18代目です。
昭和34年高野山大学を卒業。平成元年前人未踏の「百萬枚護摩行」を成満。
平成11年山口大学より医学博士を授与。
和歌山県高野山にある弘法大師空海ゆかりの寺、高野山別格本山 清浄心院の住職です。
現在八十三歳ですが絶えず護摩行を続け密教の荒行と言われ、真言行者が一生に一度行えば良いとされる、真言密教最高の秘法「八千枚護摩供」を102回修行。
白血病まで治した加持祈祷の威力。
その絶大な法力は広く内外に知られています。

親から子へと室町時代から続く家伝の秘法を修する。当時 池口恵観32歳・長男豪泉5歳

幼いときから、父は私にきびしい修行をさせました。幼稚園に入る頃から、父親が子供用に組み立ててくれた護摩行をはじめました。
父に背負われて、深い山に登って、崖っぷちで祈りました。
行の始まりは、まず読経をせよと教えられました。読経したら刀岳の禅を組め。この刀岳の禅を組みましたら、修法せよ。修法をしたならば、護摩を焚け、護摩を焚いたら、八千枚の護摩を行え、と教えられました。

八千枚とは、護摩行で火にくべる護摩木の数です。飛ぶ鳥を落としたり、河川の水を自在にあやつり、山をも動かすようになれると言い伝えられてきた秘法、大きな法力が備わる行だと伝えられています。真言行者が自らの生命を懸けて行う、真言密教のなかでも最大の荒行であり最高の秘法です。

私の母は「それはどの強い霊力を持っているのだから、それに頼ってはいけない。その霊力を生かして、人のために祈るように」と戒めてくれたのです。私は、そのためにむしろ気や霊の力を押さえようとしてきました。ただ気や霊を察知する力を保ち続けようと行をしているのです。
私は、母の胎内にいたときから行(ぎょう)をしていることになります。父が、生涯でもっとも激しい行をしていたときに、私は生まれました。
代々続く行者の家系のDNAと、両親の行のおかげで私にはそのような力がそなわっていたのでしょうか。
父は山に籠もったり、護摩行をしていました。父は寺坊にいれば朝昼晩の三座を毎日つとめていました。
母の行は、読経と瞑想でした。母は、深夜零時に起き出すと、本尊の不動明王の前に座ります。そして、朝6時まで経を唱えます。
お経は、母にとって細胞の一つ一つが記憶している、呼吸と同じものだったと、思います。
両親は、当然ながら行者の使命でありますお加持をしました。
母は「お尋ね」といわれるご信者さんの相談事に、お祈りから得た智慧を授けていました。
私の曽祖父は、とても法力の強い修験者でした。私が子どもの頃は、まだ曽祖父の弟子や信者だった人たちが高齢ながら健在で、我が家にやってきては、見開した秘蹟の数々を披露しあっていたのです。
小学校に上がる頃には、私は毎日、大きな声で真言を唱えながら、父が考案してくれた子ども用の行の作法を繰り返し行っていました。
私たち生命は目に見えているものだけで生きているのではありません。見えない影とともに生きいているのであります。「おかげさま」という言葉は、目に見えない存在への感謝の心であります。

昭和43年 高野山真言宗の北米南米大陸開教本部巡回伝道部長として海外布教に努める

昭和43(1968)年2月、私は高野山真言宗の北米大陸開教本部巡回伝道部長に任命されました。今から四十六年前、私は三十二歳。その年の十一月、南米大陸の巡回伝道部長も兼ねることになり、以後数年間はアメリカとブラジルで、伝道活動を続けました。

当時私は32歳。その年の11月、南米大陸の巡回伝道部長も兼ねることになり、以後数年間はアメリカとブラジルで、伝道活動を続けました。
私が、行によって得た仏さまのお力によって、治療が難しい病人たちが改善されていくことが現地の新聞で取り上げられて、たくさんの人がやってきました。その中に、日系人で大きく事業をやっている方がいました。UCLAに通っていた息子さんがノイローゼになって、あちこちの病院や祈祷師などのところをまわるのだが、回復しないというのです。息子は頭が切れるので、祈祷師などはかえってやり込めてしまうのだと言います。
そこで、私がお加持をしましたら、なんとスースーと寝息を立て一日中寝てしまって、起きたらすっかり治っていたのです。
その事業家はすっかり喜んで、自分がいる東部にきて3年滞在してほしい、家も生活もすべて面倒を見るから、苦しんでいる人たちを助けてほしい、かならず成功させるからと言われました。行っていれば、アメリカで大いに活動して、名が広まっていたかもしれませんが、私は日本に戻って「衆生救済」というお大師さまの教えを奉じて生きることにしたのです。

しかし、このときの布教活動の「ご縁」のおかげで、私は後年、真珠湾での日米戦没者慰霊祭、ニューヨークでの「九・一一犠牲者」の慰霊祭を行うことができ、世界平和を祈る「平和の巡礼」の一環とすることができたのでした。

1991年世界平和祈願祭ハワイ 池口恵観プロフィールより

2001年ニューヨークテロ慰霊法要 池口恵観プロフィールより

私の行の軌跡は八千枚護摩行と百万枚護摩行であります。 昭和38年27歳の時に、私は真言密教最大の荒行である「焼八千枚護摩供」を初めて成満させ、以来今日まで毎年修して、102回を数えました。八千枚護摩行は、一生に一度修することも難しいとされる真言密教最高の秘法であります。
八千枚の護摩木を焚くのには、私で7、8時間かかります。最後の結願の日は一昼夜の断食を行いながら一挙に八千枚を焚き上げるので体力・気力は限界に達します。「行は、継続することで、力を増す」と、亡き母の智観浄法尼は言っておりました。
平成元年に前人未踏とされる百万枚護摩行を成満することができました。
八千枚護摩行では、これに先立って十穀断ちを続けながら毎日真言を一万遍・護摩三座行います。三日前から断食し、正行の24時間前からは水も断つ。ゴウゴウと燃え盛る護摩壇で、護摩木を火にくべながら修める行は、地獄の業火にあぶられているような苦しみであります。百万枚は3ヶ月にわたりました。

私も生身の人間ですから、7、8時間に及ぶ護摩は長くも感じられますし、二、三百度の温度を熱く感じないはずがありません。しかし、そういう感覚になれば、時間の感覚と暑熱の苦しみが、どこか遠くへ去っているのに気づきました。まるで灼熱地獄のような砂漠の中で、パラソルをさし冷たい水を浴びたような、何とも言えない清々しさが身を包み、私にある閃きがもたらされたのです。
仏さまの本体は光だ。仏さまから生み出された自分は光だ。生命も光。思念も光。仏の本性は光。そう感じたのです。気力と体力に任せて無我夢中で八千枚護摩行に没頭していた頃だったと思いますが、身体のきつさと、護摩の火の熱さを忘れた「自分が光か、光が自分かわからなくなる」という不思議な感覚を持つようになりました。
そして、八千枚護摩行を始めた頃のことでした。慣れないうちは意識朦朧として、全身がけいれんいたしまして、護摩木を投げ入れるのがやっと、という状態になります。こうなりますと、あとは精神力しかございません。これを何回か行っておりました時、私は行の途中で意識をなくして、あの世の入口に居りました。弟子が駆け寄って、私を獅子座からおろそうとしておりました。そうしますと
「苦しかったらここで死ね。行場が行者の死に場所だ」という声が耳元に聞こえてまいりました。
仏さまの声かと思いましたら、これが母の声でございまして、母も長年にわたって、父とともに行を積み、一日たりとも欠かしたことがございません。私が八千枚護摩を修しております間も、後ろで一心に不動真言を唱えまして、応援してくれておりました。そこで、
倒れた私に大声で、「行場が行者の死に場所だ」と言っていたのです。その内、意識も回復して八千枚を焚き終えたのであります。
その教えは以来、私の行に対する一貫とした心構えになっております。
八千枚護摩行け、正式には「焼八千枚護摩供」と言います。一通りの作法は父から伝授されましたが、実際に行ううちに、疑念が出るたびに「こうではない」「こうしたほうがいいのではないか」と試行錯誤し、工夫をこらして、いわば池口惠観流の八千枚護摩修法をつくりあげてきました。

平成元年(1989年)百萬枚護摩行を成満 池口恵観プロフィールより

平成元年、私は三か月にわたり、前人未踏とされた百万枚護摩行を成満いたしました。
結願は、五月十四日、母の日でありますが、このようなスケジュールにしましたのは、母の恩に報いたいという思いがあってのことでした。当時母は八十四歳、私の行がつつがなく行えるように、毎日同じ時間に陰行を続けてくれておりました。
結願まであと三週間となった四月二十一日に、母が大隅半島の自坊から私の寺を訪れました。
「やっと、峠を越しました」と、私が申しますと、「何を言うか、行はこれからだ」と譲りません。私としては、崩していた体調も戻って、このままいけば満願と思っていたのでありました。
「最後の一日を残して倒れても、この行は駄目になる。つらいのは最後の一日なのだ」
母の言葉が実感できたのは、それから十日ほどしてからのことでした。すでに体力は限界にきていましたし、もう九割り方済んだと気をゆるめたものですから、もう座っているのもきつくなりました。
そうなりますと、日がすぎるが遅くなります。ゴールがどんどん遠ざかっていくような気持ちになりました。生命力が、生命のネットワークによって、広く発信されるのです。
「死」とは、この世に生きながら、じつは体験しているものではないか。私は行によって、生死というものを実感した、と思うのです。息を吐いて吸う。その一呼吸が生死だというお釈迦さまの教えを、私たちはいつも胸に置いて生きたいものであります。
行は最終目的ではありません。行によって御仏と一つになって得た力を、いかに多くの人々のために分かち合って、幸せの道を開いていくのか。それが、お大師さまの「実践」の教えです。
行を通じて感得することは、目に見える世界と見えない世界は個別の存在ではなく、私たちは心を通じて、その二つの世界を同時に生きているということであります。

高野山別格本山 清浄心院での護摩行

「天の怒り」に祈る 

文化時報2020年(令和2年3月25日)『天の怒り』に祈る 池口恵観

「大師の教えを今に」
「山川草木悉皆成仏」。すなわち人間も動植物も、山や川などの大自然も、同じ仏さまの子であり、大自然はつながっているという一体感を持って「荒ぶる自然」を畏れ敬い、常に備えることが肝要です。
お大師さま、気候の乱れは「国王」つまりは国家の指導者が政(まつりごと)を正しく行っているかどうかにかかっていると、繰り返し説いておられます。今ほど、お大師さまの教えが現代社会の病根になっている時期はないのではないかと思えるのです。
国王が正しく統治すれば、国は富み、国民は和気あいあいと暮らすことができる。そうすれば、天地は穏やかで作物は実り、災害も起きない。そう教えます。
政治は人間社会の出来事であり、天災は宇宙自然のなせる業だからと、別のこととして考えられていますが、そうでしょうか。古来、政治の乱れが天地の乱れを生呼ぶと伝えられてきましたが、近代科学はこのつながりを、論証できないものとして分けてきました。
しかし、政治という人間社会のありようの乱れが、宇宙に反響しないはずはないと、私はいつも社会の動きを見守っています。「怨敵およびもろもろの憂悩災厄」をなくそうと思えば、怠けて心を乱して暮らしてはいけないと、お大師さま戒めておられます。
大災害が来るという警告や警戒態勢を作ることはとても大切ですが、同時に国民の不安をなくすための政策が必要です。
目に見えない力、働きが、私たちを陰から助けてくれています。「陰ばたらき」と言う言葉がありますが、日本人は長い間、目に見えない世界を信じ「おかげさま」と言って、その力を敬って生きてきました。

「見えぬものに畏怖を」

日本人は、元々自然と共に生きてきました。自然と自分が混然一体になれる、そういう暮らしをしてきたのです。
ともすれば、私たちは目に見えているものが全てだと考えがちですが、私は目に見えているのは真実の10%にも満たず、残りの目に見えない90%以上に、私たち人間は左右されている、と考えています。氷山が海に浮かんでいるような姿で、海面に浮かんで見えるのが、私たちが確認できる姿でありますが、ほかの部分は海中にあります。
人智を超えた存在に対する敬虔(けいけん)さ。
動植物や自然に対する思いやりの心。先祖に対する感謝の気持ち。親兄弟、隣人、友人への敬慕。祖国、郷土への愛情―。
目に見えないものとは、カネでは買えない、モノには代えられない心や気持ちのことです。
見えないところからみ仏に届けるのが祈りであり、み仏の力を受け取るのも見えない部分です。
祈りこそ、み仏と自分自身とを結ぶ絆です。
宗教の根幹は、祈りです。見えない生命を思う心が、祈りであるとも言えます。
このたびの新型コロナウイルスは、目に見えない極小のものです。見えないものは、必ずしも良い働きばかりをしないことを、私たちに教えてくれています。それだけに、見えないものへの畏怖を持って生きることの大切さを思ってほしいのです。
合掌

(文化時報 令和2年3月25日 池口惠觀)

『下手名考え、休むに似たり』

私たちは、いつもいつも、心の中で余計なことをたくさん考えてはいないでしょうか。死ぬことは怖いことだ。死ぬことを知らずに、突然死を迎えることができたら、どんなに幸せなことだろう。ボケたらどうしよう。そんなことを一人で考えていても、どうなるものでもありません。

仏の御手に、自分自身を預けてみてはどうでしょうか。それが信仰というものです。自分の人生を、自分の浅はかな知恵でどうにかしようと考えるから、浅はかな知恵に振りまわされてしまうのです。

厄除大師遍照金剛

『始有れば終有り』

芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』は、苦しみの中で信頼の心を保たせる難しさを描いています。地獄から脱出するための蜘蛛の糸が、後続の人たちの重みで切れてしまったら、という不安が、結局、主人公を再び地獄へと落としてしまったのでした。どんな苦難のときでも、必ず御仏がついていてくださる。お大師さまが一緒に歩いていてくださるのだからきっと良いことがある、そう信じていると、本当に大きな力が与えられるのです。信じて信じて信じ切ること、それが信仰なのです。

現在の日本は、政治的にも経済的にも混迷の時代で、非常に苦しいときです。しかし、これもまた「始有れば終有り」なのです。お大師さま(空海)のこの言葉は、苦しみを表現するだけでなく、希望を抱かせる言葉でもあります。同じ言葉でも、上を向いているのか、下を向いているのかでは、光を伝える言葉になるのか、長い夜の闇を予感させる言葉になるのか、天と地の違いになってしまいます。

 

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