仏教と医学博士・なぜ医学生に講義

医学・医療と仏教は、本来は通底するもの多々ある「いのちの癒やし」を使命とする「同源」であります。

池口恵観大僧正は1999(平成11)年11月10日山口大学医学部「医学博士号」取得

精神腫瘍学といって、患者の精神状態、反応を見ながら、段階的に真相を告知していく分野が発達してきています。
それによると、「治ろう」という気持ちの強い人のほうが、現実に治る確率も高く、再発も少ないというのです。逆に「もうだめだ」という気持ちになった人は、とたんに「死」を意識するようになりますから、それまでとは打って変わって鬱病になり、自然治療力そのものが衰えていくというわけです。そこの判断がむずかしいところで、それだけに医師の人間性が問われるところでもあります。 「生きること死ぬこと」より 池口恵観
お大師さまは、現世の社会をよりよいものにしようと努力しました。「諦観」という言葉は、お大師さまの教えからは読み取れません。願って、祈って、実践すれば願いは叶うとお大師さまは教えました。生より死後の世界が安楽だとは、説いていません。現世で仏に成って安心を得るのだよ、と導いておられるのです。
なぜ、医学生に講義
大きな火を焚く護摩行を勤めながら、人々の幸せ、国家の安泰、世界の平和などを祈願している、真言行者でございます。
そんな真言行者の私が、なぜ大学医学部で講義を行うのか、不思議に思われる方もいらっしゃるでしょう。昭和の終わりの頃でしたから、もう三十年ほど前のことです。ある国立大学医学部の大学院生が、鹿児島の私の寺を訪ねてきました。顔色が悪く、心身に生気が感じられません。話を聞くと、重い白血病を患い、大学病院の医師から「余命いくばくもない」と宣告されたということです。そして、絶望の中で私の『密教の秘密』という本を読んだところ、密教の加持祈祷で難病を克服できることがあると知り、藁をもつかむ気持ちで私を訪ねてきたというのです。
私は医学生に、私の寺で一週間、護摩行に参加するよう勧めました。私の寺の護摩行は、炎の高さが三メートルにもなる大きな火を焚きます。護摩壇の近くは手や顔に火傷をするほどの熱さとなり、そこに酸欠状態も重なって。まさに焦熱地獄と化します。医学生は必死に焦熱地獄に耐え、弟子たちとともに、大きな声で必死に真言を唱えていました。最初の二、三日は護摩行の最中、彼の鼻から白い鼻汁が止めどなく流れ出ていましたが、それが四日目ぐらいにはぴたりと止まり、次第に彼の表情に生気が蘇ってきました。そして、一週間経ったときには、医学生は心身ともに元気になり、深刻だった顔にも笑顔が戻ったのでした。
鹿児島から大学へ戻ってきた彼を見て驚いたのは、大学院で彼を指導していた教授です。「余命いくばくもない」と宣告され、絶望の淵に沈んでいた彼が、心身ともに見違えるほど元気になっていたわけですから、教授が驚かれたのも無理はありません。そして教授は彼が元気になった秘密を知りたいと、彼とともに私を訪ねて来られました。
私は教授に、密教には昔から加持祈祷というものがあり、科学的に証明されてはいないが、難病を治せるケースがあることを説明するとともに、「昨今の医療は最先端医療を重視するあまり、患者さんの心を思いやることに欠けている。つまり患者さん本位の医療になっていない。医療には仏教的な生命倫理・医療倫理が欠かせないと思う」というような感想を、思いつくままに述べたところ、「その話を是非、医学部の学生たちにしてください」ということになったのです。

現在は山口大学客員教授として84歳ですが、患者さんとの信頼関係を築く医療の心を説かれております。

国内での医療と仏教に関する講義略歴

北海道大学、岡山大学医学部、京都府立医科大学、兵庫医科大学、山口大学医学部、広島大学医学部、広島大学歯学部、金沢大学医学部、大分大学医学部、弘前大学医学部、鳥取大学医学部、産業医科大学、久留米大学医学部、高知大学医学部、大阪大学健康体育部、福井大学医学部等非常勤講師

癒やし

私は、ご縁をいただいて昭和63年11月から山口大学医学部にはじまり、各地野大学医学部で「医の心」の講義を続けて今年(令和元年)で32年目になります。医療の原点とはなんでしょうか。『癒し』です。私は宗教家です。医学と宗教という一見、かけ離れたかに見える領域の架け橋として、もう半世紀を超える活動をしてまいりました。この両者は、じつは同じ源流から発している人類救済の道であります。苦しむ人を救うことが、医学と宗教の根本であることに気づいていただくと、よくわかります。

生者必滅、会者定離。この世に生きているものは必ず滅び、出会った者は必ず離れる。仏さまの教えは、ここに極まります。この世とは、生命が形になって表れる世界です。形は、時がくれば消えるものですが、じつは生命は消えない。それが仏さまの教える真理です。死とは生は後ろにいつもともにあるものなのです。私は、日本人の死生観について研究しました。ちょうど医学生たちに「医のこころ」を説き始めた、三十年ほど前のことです。この調査を論文にまとめて、博士号を授かったのですが、そうしたきっかけの一つは、肉親の絆の深さを考えさせられることが何度となくあったからです。(生老病死より 池口恵観)

病は気から

ものごとは一瞬一瞬の積み重ねです。つい今し方晴れていても、もう雨が降ることだってあるのです。それを一つひとつ、喜んだり悲しんだりしていたのでは、心が平らかになりません。この世に生を受けたからには、誰もが免れない、と思えるようになると、生きていても死の恐怖から解放されて、悟りの道に一歩近づくことになります。これは死が有ることを認め、しかし死を意識しないことですから、「無い」ということになります。詭弁のようでありますが、本当にそう思えば通じるのが、御仏の教えです。この考え方は、現代医学ホスピスにおける医療にも活用されています。人間はゆったりした気持ちになると、苦痛がやわらぎ、ときには苦痛が消えてしまうこともあります。事実、心の働きによって、さまざまな物質が脳から分泌されるのだそうです。ハピネス・ホルモンは、そうした働きで分泌される物質です。また、肝臓の働きも、笑うときと怒るときとでは、まったく異なるそうです。「病は気から」というのは、まさに実証されているのです。

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